• 藤原定家は、さだいえ、ていかどちらの読みが正しいのですか ...

    藤原定家のことを間違えて ふじわらのさだいえ と読んだことがあるんですが、 ふじわらのていか って読むのがまだ違和感があります。 ていか 説が強いのはどうしてですか? 昔にもふりがなみたいなものがあったんですか?

  • 藤原定家(ふじわらのていか)とは - コトバンク

    日本大百科全書(ニッポニカ) - 藤原定家(ふじわらのていか)の用語解説 - 鎌倉初期の歌人。正式には「さだいえ」だが音読されることが多い。父は正三位(しょうさんみ)皇太后宮大夫(こうたいごうぐうのだいぶ)俊成(しゅんぜい)。母は若狭守(わかさのかみ)藤原親忠女(ちかただのむすめ)の ...

  • 藤原定家は、さだいえ、ていかどちらの読みが正しいのですか ...

    藤原定家のことを間違えて ふじわらのさだいえ と読んだことがあるんですが、 ふじわらのていか って読むのがまだ違和感があります。 ていか 説が強いのはどうしてですか? 昔にもふりがなみたいなものがあったんですか?

  • 藤原定家(ふじわらのていか)とは - コトバンク

    日本大百科全書(ニッポニカ) - 藤原定家(ふじわらのていか)の用語解説 - 鎌倉初期の歌人。正式には「さだいえ」だが音読されることが多い。父は正三位(しょうさんみ)皇太后宮大夫(こうたいごうぐうのだいぶ)俊成(しゅんぜい)。母は若狭守(わかさのかみ)藤原親忠女(ちかただのむすめ)の ...

  • 藤原定家 ――歌論、和歌とその朗読

    藤原定家(ふじわらのさだいえ・ていか)(法名、明静・みょうじょう)(1162-1241)。藤原北家のうち、藤原道長の息子の一人、長家を祖とする御子左家(みこひだりけ)の流れである。父親は、『千載和歌集』の編者であり、歌論書

  • 藤原定家 ふじわらのさだいえ(-ていか) 応保二~仁治二(1162 ...

    藤原定家 ふじわらのさだいえ(-ていか) 応保二~仁治二(1162~1241) 通称:京極中納言 ※工事中 未校正 応保二年(1162)、藤原俊成(当時の名は顕広)四十九歳の時の子として生れる。母は藤原親忠女(美福門院加賀)。

  • 藤原定家の日記 『明月記』(ふじわらさだいえのにっき 『めい ...

    藤原定家の日記 『明月記』(ふじわらさだいえのにっき 『めいげつき』) English 皆さんは日記を付けていますか。日記といえば「三日坊主(みっかぼうず)」という言葉がすぐに思い浮ぶほど続けるのはむずかしいものですね。 ...

  • 『定家』のあらすじ・見どころ / Summary and Highlights of Teika ...

    定家. (. さだいえ. ) の秘めた激しい恋、それゆえ死後も妄執に苦しめられる内親王を描いた能。. 初冬の寂しい風景に、時雨が降るという舞台設定に、二人の秘めた恋や定家の妄執の深さ、内親王の苦しみが浮き上がってきます。. 曲名は〈定家〉ですが ...

  • 藤原定家(ふじわらのさだいえ)の解説 - goo人名事典

    ふじわら‐の‐ていか〔ふぢはら‐〕【藤原定家】. [1162~1241]鎌倉初期の歌人。. 名は「さだいえ」とも。. 俊成 の子。. 父のあとを継いで 有心 (うしん) 体 の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。. 「 新古今和歌集 」の撰者の一人。. のち「 新 ...

  • 藤原定家 おほぞらは梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜 ...

    藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか) おほぞらは梅のにほひに霞みつつ 曇りもはてぬ春の夜の月 新古今和歌集 40 大空は梅の彩りと香りに霞みつつ そうかといって曇り切るわけでもない 幻のような春の夜の月。

  • 秋の夕暮れ | 鸞鳳の道標

    三人で一人魚喰ふ秋の暮れThinking Time!↓↓↓答え:藤原定家【ふじわらのさだいえ(ふじわらのていか)】- - - - - -… 鸞鳳の道標 過去から現在へ、そして未来へ。歴史の中から鸞鳳を、そして未来の伏龍鳳雛を探すための道標をここに。

  • 藤原定家は、さだいえ、ていかどちらの読みが正しいのですか ...

    藤原定家のことを間違えて ふじわらのさだいえ と読んだことがあるんですが、 ふじわらのていか って読むのがまだ違和感があります。 ていか 説が強いのはどうしてですか? 昔にもふりがなみたいなものがあったんですか?

  • 藤原定家(ふじわらのていか)とは - コトバンク

    日本大百科全書(ニッポニカ) - 藤原定家(ふじわらのていか)の用語解説 - 鎌倉初期の歌人。正式には「さだいえ」だが音読されることが多い。父は正三位(しょうさんみ)皇太后宮大夫(こうたいごうぐうのだいぶ)俊成(しゅんぜい)。母は若狭守(わかさのかみ)藤原親忠女(ちかただのむすめ)の ...

  • 藤原定家 ――歌論、和歌とその朗読

    藤原定家(ふじわらのさだいえ・ていか)(法名、明静・みょうじょう)(1162-1241)。藤原北家のうち、藤原道長の息子の一人、長家を祖とする御子左家(みこひだりけ)の流れである。父親は、『千載和歌集』の編者であり、歌論書

  • 藤原定家 ふじわらのさだいえ(-ていか) 応保二~仁治二(1162 ...

    藤原定家 ふじわらのさだいえ(-ていか) 応保二~仁治二(1162~1241) 通称:京極中納言 ※工事中 未校正 応保二年(1162)、藤原俊成(当時の名は顕広)四十九歳の時の子として生れる。母は藤原親忠女(美福門院加賀)。

  • 藤原定家の日記 『明月記』(ふじわらさだいえのにっき 『めい ...

    藤原定家の日記 『明月記』(ふじわらさだいえのにっき 『めいげつき』) English 皆さんは日記を付けていますか。日記といえば「三日坊主(みっかぼうず)」という言葉がすぐに思い浮ぶほど続けるのはむずかしいものですね。 ...

  • 『定家』のあらすじ・見どころ / Summary and Highlights of Teika ...

    定家. (. さだいえ. ) の秘めた激しい恋、それゆえ死後も妄執に苦しめられる内親王を描いた能。. 初冬の寂しい風景に、時雨が降るという舞台設定に、二人の秘めた恋や定家の妄執の深さ、内親王の苦しみが浮き上がってきます。. 曲名は〈定家〉ですが ...

  • 藤原定家(ふじわらのさだいえ)の解説 - goo人名事典

    ふじわら‐の‐ていか〔ふぢはら‐〕【藤原定家】. [1162~1241]鎌倉初期の歌人。. 名は「さだいえ」とも。. 俊成 の子。. 父のあとを継いで 有心 (うしん) 体 の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。. 「 新古今和歌集 」の撰者の一人。. のち「 新 ...

  • 藤原定家 おほぞらは梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜 ...

    藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか) おほぞらは梅のにほひに霞みつつ 曇りもはてぬ春の夜の月 新古今和歌集 40 大空は梅の彩りと香りに霞みつつ そうかといって曇り切るわけでもない 幻のような春の夜の月。

  • 秋の夕暮れ | 鸞鳳の道標

    三人で一人魚喰ふ秋の暮れThinking Time!↓↓↓答え:藤原定家【ふじわらのさだいえ(ふじわらのていか)】- - - - - -… 鸞鳳の道標 過去から現在へ、そして未来へ。歴史の中から鸞鳳を、そして未来の伏龍鳳雛を探すための道標をここに。

  • 見わたせば - 詩歌 - 漢詩・詩歌・吟詠紹介 - [学ぶ] - 関西吟詩 ...

    見わたせば藤原定家> 見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ みわたせば ふじわらのさだいえ(ていか)> 見わたすと、美しい春の桜も、色とりどりの秋の紅葉も何もない。海辺に苫屋だけが見える秋の夕暮れよ。

  • 藤原定家の恋情が葛(定家葛)となり式子内親王の墓に ...

    国立極地研究所・統計数理研究所が2021年9月8日、過去3000年のオーロラ帯の変化を連続的に再現することに成功した。その結果、オーロラ帯は1200年頃、日本に再接近していたことが判明し、それは鎌倉前期の歌人・藤原定家(ふじわらのさだいえ/ていか、1162〜1241)の日記『明月記』(1180〜1235 ...

  • 藤原定家 おほぞらは梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜 ...

    藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか) おほぞらは梅のにほひに霞みつつ 曇りもはてぬ春の夜の月 新古今和歌集 40 大空は梅の彩りと香りに霞みつつ そうかといって曇り切るわけでもない 幻のような春の夜の月。

  • ことばの総泉挙 | 問題

    「藤原定家 」あなたは、どちらで読みますか? ふじわらのていか ふじわらのさだいえ 決 定 結果を先に見る 回答の比率 ふじわらのていか 66% ふじわらのさだいえ ...

  • 藤原定家書状 「山門状」 文化遺産オンライン

    藤原定家書状 「山門状」 ふじわらのていかしょじょう「さんもんじょう」 大きく さらに大きく 歴史資料 文書・書籍 / 鎌倉 / 日本 藤原定家筆 ふじわらのさだいえ 鎌倉/建保6年(1218) 縦32.7 横90.9 一幅 重文 定家自筆の書状で ...

  • 藤原氏北家・長家流の系図 | ねっこのえくり

    藤原定家(さだいえ・ていか)/光季/季光【1162-1241】〔養子:聖覚(→澄憲の系図)〕 権中納言。歌人として活躍し、『新古今和歌集』・『新勅撰和歌集』の撰修にあたったほか、『源氏物語』をはじめとする多くの ...

  • PDD人名辞典:ふじわらのていか

    ふじわらのていか 藤原 定家 ⇒ふじわらのさだいえ(藤原 定家) at 15:36 は行 このBlogのトップへ 前の記事 次の記事 ふじわらのためすけ ふじわらのていし 記事検索 カテゴリ別アーカイブ あ行 (1904) か行 (1078) さ行 (828) た行 (920) ...

  • 文化遺産データベース

    藤原定家書状 「山門状」 ふじわらのていかしょじょう「さんもんじょう」 歴史資料 文書・書籍 / 鎌倉 藤原定家筆 ふじわらのさだいえ 鎌倉/建保6年(1218) 縦32.7 横90.9 一幅 重文 定家自筆の書状で、書き出しの語句「山門衆徒 ...

  • 藤原定家|【京都市公式】京都観光Navi

    藤原定家 ふじわらのさだいえ 鎌倉初期の歌人・公家。藤原俊成の子。和歌所寄人として『新古今集』の撰者となり、また『新勅撰集』を撰集。『源氏物語』など多くの古典の書写も成した。貴重な資料の日記『明月記』が冷泉家に現存(重文)する。

  • まにまに読解-藤原定家-

    小倉百人一首第97首 藤原定家 (ふじわらのさだいえ・ていか) 新勅撰集 意味 来ないあの人を待つだけの私、身が焦がれながら待っています。 意訳 あいたい、あいたい、あいたい 語句 松帆の浦 淡路島の最北端 夕凪 夕方風が止ん ...

  • 歌う百人一首(朗唱的朗読)

    さらに、公家であり歌人として知られていた 藤原定家(ふじわらのていか・さだいえ)(1162-1241) の息子、藤原為家(ためいえ)のもとに、自分の娘が嫁いでいたこともあり、小倉山荘のための和歌の選定を定家に依頼。1235年、選定を

  • 藤原定家【今上天皇の直系祖先】 | 歴史ディレクトリ

    藤原定家は今上天皇の直系祖先です。本サイトでは、今上天皇の直系祖先とされる歴史上の人物の一覧(3000名以上)と、各人物から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。

  • "定家"のいろいろな読み方と例文|ふりがな文庫

    ていか 88.9% さだいえ 11.1% (注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。 ていか (逆引き) 一體假名遣と云ふ 詞 ( ) は 定家 ( ) 假名遣などと云ふときから ...

  • 藤原定家 - 人物 - Weblio辞書

    ^国書刊行会『藤原定家全歌集』序文に引用される霊元天皇の言葉「人麻呂貫之が亡くなりたる後には、ただ京極の黄門のみぞ。古(いにしえ)を正し今を教へ、独(ひとり)この道の聖(ひじり)なりける」 ^ 当該記事以前の記事は冷泉家時雨亭文庫所蔵の定家直筆の『公卿補任』写本・建暦元年条 ...

  • 「藤原定家」の読み方

    「藤原定家」の読み方を表示するページです。他の漢字として 野手、上之園、上住、上住、ケ・キムヤン、峻郎 などがあります。 ふじわらのていか ふじわらのさだいえ

  • 駒とめて - 詩歌 - 漢詩・詩歌・吟詠紹介 - [学ぶ] - 関西吟詩文化 ...

    駒とめて<藤原定家>. 駒とめて 袖うち拂う 陰もなし. 佐野のわたりの 雪の夕暮れ. こまとめて<ふじわらのさだいえ (ていか)>. こまとめて そでうちは(ろオ) かげもなし. さののわたりの ゆきのゆうぐれ.

  • 藤原定家 - まいり

    藤原定家さんのおまいりができます。 まいり [おしらせ 11.11] 更新の停止について 藤原定家 ふじわら の さだいえ(ていか) 1162 - 1241 公家 歌人 亡くなってから780年103日過ぎました。 79歳で亡くなりました。 1162年に誕生、1241年 ...

  • 「藤原定家」で一致する言葉1ページ目 - goo国語辞書

    藤原定家で一致する言葉の国語辞典の検索結果。ふじわらのさだいえ【藤原定家】,ふじわらのていか【藤原定家】 - goo国語辞書は30万4千件語以上を収録。政治・経済・医学・ITなど、最新用語の追加も定期的に行っています。

  • 「藤原定家」の検索結果 - 広辞苑無料検索 大辞林

    ふじわら-の-ていか フヂハラ― 【藤原定家】 〔名は「さだいえ」とも〕 (1162-1241) 平安末期・鎌倉初期の歌人・歌学者。 俊成の子。京極中納言と称さる。法号,明静(ミヨウジヨウ)。「新古今和歌集」(共撰),「新勅撰和歌集」を撰した。

  • 藤原定家 - 新纂浄土宗大辞典

    ふじわらのていか/藤原定家 応保二年(一一六二)—仁治二年(一二四一)八月二〇日。正二位権中納言、京極中納言と呼ばれた。「さだいえ」ともいう。法名は 明静 みょうじょう。鎌倉初期の歌人。藤原北家 御子左 みこひだり 流で藤原 俊成 としなり の二男。

  • 「藤原定家」の読み方

    「藤原定家」の読み方を表示するページです。他の漢字として 電気伝導、有効質量、丹波国、鎌ケ谷市、乃木坂太郎、柳沼 ...

  • 「藤原定家」の検索結果 - 広辞苑無料検索 大辞泉

    ふじわら‐の‐ていか【藤原定家】 ふぢはら‐ [ 一一六二〜一二四一 ]鎌倉初期の歌人。 名は「さだいえ」とも。俊成の子。父のあとを継いで有心 (うしん) 体の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。 「新古今集」の撰者の一人。

  • ふ の検索結果 | 教学用語検索|創価学会公式サイト-SOKAnet

    日常的に日蓮大聖人の仏法を学ぶための教学用語検索です。『新編 日蓮大聖人御書全集』、『妙法蓮華経並開結』(創価学会版)に記載されている語句や、仏教一般の教義・用語・歴史など、主要なものについて、解説しています。