• 関東の戦国 山内上杉と扇谷上杉の覇権争い - 歴史楽者の ...

    山内上杉と扇谷上杉が和睦したので、山内上杉顕定のもとにいた道灌の子息である太田資康は江戸城に戻り朝興に仕えることになりました。 山内上杉と扇谷上杉の覇権争いは17年にも及びました。長い抗争によって両上杉は疲弊し、その

  • 北条氏が台頭する以前の関東の状況(関東公方と関東管領に ...

    山内上杉家と扇谷上杉家が対立して「長享の乱」が起こる 北条早雲が駿河に下向する もう少しだけ詳しく理解 全体の流れをもう少し詳しく解説していきます。 とにかく人名がたくさん出てきますが、まずは大きな流れ(どういう権力 ...

  • 扇谷上杉氏|上杉氏の諸家のひとつ武蔵国を拠点とした大名 ...

    扇谷上杉家当主。永享の乱で山内上杉家・上杉憲実に従い鎌倉公方・足利持氏討伐で功績を上げた。その後、享徳の乱が勃発すると憲忠の弟・房顕を立て古河公方・足利成氏と対立。太田道灌に河越城築城を命じ、自らの居城とした。 ...

  • 第1回 黎明期 年表(1438-1505)- 関東戦国史1438-1590

    扇谷上杉家内の動揺が広がると同時に、勢力が少しずつ衰えていった。 19 1487 関東管領・山内 上杉顕定 扇谷 上杉定正 長享の乱 勃発(~1505年) ・・・山内上杉家の 上杉顕定 (関東管領)VS扇谷上杉家の 上杉定正 (没後は甥

  • 上杉謙信の家系図を簡単にわかりやすく解説! | 日本の歴史の ...

    扇谷上杉氏は滅亡し、山内上杉氏の当主である憲政は越後にいる長尾景虎=謙信を頼ってきたのです。 上杉謙信の生家、長尾氏の家系図についてご紹介 では、謙信生家である 長尾氏 とは、一体どのような家柄だったのでしょうか。

  • 「長享の乱(1487~1505年)」関東管領家・上杉氏の衰退を ...

    扇谷上杉氏の家宰家嫡男が山内上杉氏に従ったことで、両上杉氏の対立は決定的なものになります。 長享元(1487)年 10月、定正は江戸城を補修しており、このころには来る顕定との対決に備えていたことがわかります。

  • 関東の戦国 山内上杉と扇谷上杉の覇権争い - 歴史楽者の ...

    山内上杉と扇谷上杉が和睦したので、山内上杉顕定のもとにいた道灌の子息である太田資康は江戸城に戻り朝興に仕えることになりました。 山内上杉と扇谷上杉の覇権争いは17年にも及びました。長い抗争によって両上杉は疲弊し、その

  • 北条氏が台頭する以前の関東の状況(関東公方と関東管領に ...

    山内上杉家と扇谷上杉家が対立して「長享の乱」が起こる 北条早雲が駿河に下向する もう少しだけ詳しく理解 全体の流れをもう少し詳しく解説していきます。 とにかく人名がたくさん出てきますが、まずは大きな流れ(どういう権力 ...

  • 扇谷上杉氏|上杉氏の諸家のひとつ武蔵国を拠点とした大名 ...

    扇谷上杉家当主。永享の乱で山内上杉家・上杉憲実に従い鎌倉公方・足利持氏討伐で功績を上げた。その後、享徳の乱が勃発すると憲忠の弟・房顕を立て古河公方・足利成氏と対立。太田道灌に河越城築城を命じ、自らの居城とした。 ...

  • 第1回 黎明期 年表(1438-1505)- 関東戦国史1438-1590

    扇谷上杉家内の動揺が広がると同時に、勢力が少しずつ衰えていった。 19 1487 関東管領・山内 上杉顕定 扇谷 上杉定正 長享の乱 勃発(~1505年) ・・・山内上杉家の 上杉顕定 (関東管領)VS扇谷上杉家の 上杉定正 (没後は甥

  • 上杉謙信の家系図を簡単にわかりやすく解説! | 日本の歴史の ...

    扇谷上杉氏は滅亡し、山内上杉氏の当主である憲政は越後にいる長尾景虎=謙信を頼ってきたのです。 上杉謙信の生家、長尾氏の家系図についてご紹介 では、謙信生家である 長尾氏 とは、一体どのような家柄だったのでしょうか。

  • 「長享の乱(1487~1505年)」関東管領家・上杉氏の衰退を ...

    扇谷上杉氏の家宰家嫡男が山内上杉氏に従ったことで、両上杉氏の対立は決定的なものになります。 長享元(1487)年 10月、定正は江戸城を補修しており、このころには来る顕定との対決に備えていたことがわかります。

  • 永享記22 - 山内上杉と扇谷上杉の不和 - Coocan

    - 山内上杉と扇谷上杉の不和 - 翌年改元があって、長享元年丁未(1487)となる。 そのころ山内顕定と憲房が相談して、扇谷修理権大夫定政を退治することになった。道灌の子息の太田源六郎は甲州に忍び出て山内殿の下知に 従い ...

  • 山内・扇谷両上杉の抗争

    山内・扇谷両上杉の抗争 上杉顕定は長年の宿敵古河公方と和睦。しかし、これに反発した扇谷上杉定正は駿河今川氏の支援のもと、勢力をのばしはじめた。顕定が手を焼いた長尾景春の乱を鎮圧したのは、扇谷上杉家の家宰太田道灌であった。

  • 44年に渡り、関東管領に君臨し続けた上杉顕定の手腕 | 戦国 ...

    これは扇谷上杉氏に従っていた諸将を動揺させ、彼らの中には離反して山内上杉氏へ走る者も出たのです。 こうして、山内上杉氏と扇谷上杉氏の対立が表面化し、再び上杉氏での内紛が始まることになります。 長享元(1487)年、顕定は

  • 扇谷上杉管領屋敷~扇谷・上杉家の鎌倉屋敷跡 - 武将人物情報 ...

    弟・上杉憲房(うえすぎ-のりふさ)の系統は、鎌倉の山内(北鎌倉)に居館を置いたため、山内・上杉家と呼んで区別します。 この扇谷・山内の両家は、 足利尊氏 が室町幕府を開いたあと、 鎌倉公方 を補佐するナンバー2として「 関東管領 」を世襲していきます。

  • 第2回 国別 比較年表(1506~1535年)- 関東戦国史1438-1590

    扇谷上杉家当主・ 上杉朝良 (40)は仲裁に動いたが失敗。 上杉顕実 は 長尾顕方 や 成田顕泰 らの支援を受けて 武蔵鉢形城 に入ったが、 横瀬景繁 ・ 長尾景長 らに攻められて敗北。山内上杉家当主の座を失い兄・ 足利政氏 を頼って

  • 【刀剣ワールド】長享の乱

    山内上杉家側には太田道灌の子「太田資康」(おおたすけやす)らが参戦し、越後上杉家にも援軍を要請することになったのです。 扇谷上杉家側には古河公方の支援で長尾景春の軍勢が参戦。激戦となりましたが、勝敗は付かないまま

  • 扇谷上杉家 - 扇谷上杉家の概要 - Weblio辞書

    歴史 扇谷上杉氏は室町幕府を開いた足利尊氏の母方の叔父にあたる上杉重顕を遠祖とする家で、南北朝期の貞治年間に重顕の養孫(上杉朝定の養子)にあたる上杉顕定が関東に下向し、重顕の弟・上杉憲房の諸子から出た諸上杉家と同じく鎌倉公方(関東公方)に仕えて鎌倉の扇谷(現在の ...

  • さとみ物語・完全版 3章-3 - 館山市役所

    山内上杉氏を惣領家として、扇谷上杉・犬懸上杉・宅間上杉・庁鼻上杉・越後上杉などの一族にわかれ、越後から上野・武蔵・相模・伊豆・上総などで守護をほぼ独占して、関東での一大勢力になりました。

  • 武家家伝_山内上杉氏 - d Pert2

    一方、扇谷上杉氏では家宰太田道灌が河越・江戸両城を修理して、扇谷上杉氏の領国である武蔵・相模両国の安定に意を注いだ。このような太田道灌の活動によって、次第に扇谷上杉氏は山内上杉氏を凌ぐ勢いを見せ始めた。これに不安を

  • 楽天ブックス: 山内上杉氏と扇谷上杉氏(5) - 木下 聡 ...

    山内上杉氏と扇谷上杉氏(5) - 木下 聡 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。

  • ウェブサイト「いざ鎌倉」

    扇谷上杉家は永享の乱(1438年)以降、山内上杉家と関東の覇権を争いました。鎌倉扇谷(英勝寺一帯)に居をかまえていました。 山内上杉家 上杉憲房の三男上杉憲顕は建武元年(1334年)に足利直義によって関東相番に任じられてからは派

  • 上杉家――鎌倉、室町、戦国、江戸、幕末…名門の紆余曲折 ...

    宅間上杉家は早々に勢いを失い、犬懸上杉家は上杉氏憲(うじのり。法名・禅秀:ぜんしゅう)が鎌倉公方・足利持氏(もちうじ)に叛旗を翻して滅亡した(上杉禅秀の乱)。その後、山内上杉家と扇谷上杉家が対立したが、山内上杉家が

  • 太田道灌の暗殺の舞台 上杉定正糟屋の館 | 歴史が好き.com

    扇谷上杉氏の家宰として活躍した道灌は、主である 上杉定正 により悲劇の最期を遂げます。. その舞台となった 上杉定正糟屋の館跡 を訪ねました。. (2018年11月24日最終更新). 目次 [ 閉じる] 1 道灌の暗殺. 2 糟屋の館跡地にて. 3 七人塚と洞昌院(胴塚)へ ...

  • 関東の戦国 山内上杉と扇谷上杉の覇権争い - 歴史楽者の ...

    山内上杉と扇谷上杉が和睦したので、山内上杉顕定のもとにいた道灌の子息である太田資康は江戸城に戻り朝興に仕えることになりました。 山内上杉と扇谷上杉の覇権争いは17年にも及びました。長い抗争によって両上杉は疲弊し、その

  • 北条氏が台頭する以前の関東の状況(関東公方と関東管領に ...

    山内上杉家と扇谷上杉家が対立して「長享の乱」が起こる 北条早雲が駿河に下向する もう少しだけ詳しく理解 全体の流れをもう少し詳しく解説していきます。 とにかく人名がたくさん出てきますが、まずは大きな流れ(どういう権力 ...

  • 扇谷上杉氏|上杉氏の諸家のひとつ武蔵国を拠点とした大名 ...

    扇谷上杉家当主。永享の乱で山内上杉家・上杉憲実に従い鎌倉公方・足利持氏討伐で功績を上げた。その後、享徳の乱が勃発すると憲忠の弟・房顕を立て古河公方・足利成氏と対立。太田道灌に河越城築城を命じ、自らの居城とした。 ...

  • 第1回 黎明期 年表(1438-1505)- 関東戦国史1438-1590

    扇谷上杉家内の動揺が広がると同時に、勢力が少しずつ衰えていった。 19 1487 関東管領・山内 上杉顕定 扇谷 上杉定正 長享の乱 勃発(~1505年) ・・・山内上杉家の 上杉顕定 (関東管領)VS扇谷上杉家の 上杉定正 (没後は甥

  • 上杉謙信の家系図を簡単にわかりやすく解説! | 日本の歴史の ...

    扇谷上杉氏は滅亡し、山内上杉氏の当主である憲政は越後にいる長尾景虎=謙信を頼ってきたのです。 上杉謙信の生家、長尾氏の家系図についてご紹介 では、謙信生家である 長尾氏 とは、一体どのような家柄だったのでしょうか。

  • 「長享の乱(1487~1505年)」関東管領家・上杉氏の衰退を ...

    扇谷上杉氏の家宰家嫡男が山内上杉氏に従ったことで、両上杉氏の対立は決定的なものになります。 長享元(1487)年 10月、定正は江戸城を補修しており、このころには来る顕定との対決に備えていたことがわかります。

  • 永享記22 - 山内上杉と扇谷上杉の不和 - Coocan

    - 山内上杉と扇谷上杉の不和 - 翌年改元があって、長享元年丁未(1487)となる。 そのころ山内顕定と憲房が相談して、扇谷修理権大夫定政を退治することになった。道灌の子息の太田源六郎は甲州に忍び出て山内殿の下知に 従い ...

  • 山内・扇谷両上杉の抗争

    山内・扇谷両上杉の抗争 上杉顕定は長年の宿敵古河公方と和睦。しかし、これに反発した扇谷上杉定正は駿河今川氏の支援のもと、勢力をのばしはじめた。顕定が手を焼いた長尾景春の乱を鎮圧したのは、扇谷上杉家の家宰太田道灌であった。

  • 44年に渡り、関東管領に君臨し続けた上杉顕定の手腕 | 戦国 ...

    これは扇谷上杉氏に従っていた諸将を動揺させ、彼らの中には離反して山内上杉氏へ走る者も出たのです。 こうして、山内上杉氏と扇谷上杉氏の対立が表面化し、再び上杉氏での内紛が始まることになります。 長享元(1487)年、顕定は

  • 扇谷上杉管領屋敷~扇谷・上杉家の鎌倉屋敷跡 - 武将人物情報 ...

    弟・上杉憲房(うえすぎ-のりふさ)の系統は、鎌倉の山内(北鎌倉)に居館を置いたため、山内・上杉家と呼んで区別します。 この扇谷・山内の両家は、 足利尊氏 が室町幕府を開いたあと、 鎌倉公方 を補佐するナンバー2として「 関東管領 」を世襲していきます。

  • 第2回 国別 比較年表(1506~1535年)- 関東戦国史1438-1590

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  • 【刀剣ワールド】長享の乱

    山内上杉家側には太田道灌の子「太田資康」(おおたすけやす)らが参戦し、越後上杉家にも援軍を要請することになったのです。 扇谷上杉家側には古河公方の支援で長尾景春の軍勢が参戦。激戦となりましたが、勝敗は付かないまま

  • 扇谷上杉家 - 扇谷上杉家の概要 - Weblio辞書

    歴史 扇谷上杉氏は室町幕府を開いた足利尊氏の母方の叔父にあたる上杉重顕を遠祖とする家で、南北朝期の貞治年間に重顕の養孫(上杉朝定の養子)にあたる上杉顕定が関東に下向し、重顕の弟・上杉憲房の諸子から出た諸上杉家と同じく鎌倉公方(関東公方)に仕えて鎌倉の扇谷(現在の ...

  • さとみ物語・完全版 3章-3 - 館山市役所

    山内上杉氏を惣領家として、扇谷上杉・犬懸上杉・宅間上杉・庁鼻上杉・越後上杉などの一族にわかれ、越後から上野・武蔵・相模・伊豆・上総などで守護をほぼ独占して、関東での一大勢力になりました。

  • 武家家伝_山内上杉氏 - d Pert2

    一方、扇谷上杉氏では家宰太田道灌が河越・江戸両城を修理して、扇谷上杉氏の領国である武蔵・相模両国の安定に意を注いだ。このような太田道灌の活動によって、次第に扇谷上杉氏は山内上杉氏を凌ぐ勢いを見せ始めた。これに不安を

  • 楽天ブックス: 山内上杉氏と扇谷上杉氏(5) - 木下 聡 ...

    山内上杉氏と扇谷上杉氏(5) - 木下 聡 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。

  • ウェブサイト「いざ鎌倉」

    扇谷上杉家は永享の乱(1438年)以降、山内上杉家と関東の覇権を争いました。鎌倉扇谷(英勝寺一帯)に居をかまえていました。 山内上杉家 上杉憲房の三男上杉憲顕は建武元年(1334年)に足利直義によって関東相番に任じられてからは派

  • 上杉家――鎌倉、室町、戦国、江戸、幕末…名門の紆余曲折 ...

    宅間上杉家は早々に勢いを失い、犬懸上杉家は上杉氏憲(うじのり。法名・禅秀:ぜんしゅう)が鎌倉公方・足利持氏(もちうじ)に叛旗を翻して滅亡した(上杉禅秀の乱)。その後、山内上杉家と扇谷上杉家が対立したが、山内上杉家が

  • 太田道灌の暗殺の舞台 上杉定正糟屋の館 | 歴史が好き.com

    扇谷上杉氏の家宰として活躍した道灌は、主である 上杉定正 により悲劇の最期を遂げます。. その舞台となった 上杉定正糟屋の館跡 を訪ねました。. (2018年11月24日最終更新). 目次 [ 閉じる] 1 道灌の暗殺. 2 糟屋の館跡地にて. 3 七人塚と洞昌院(胴塚)へ ...

  • 山内上杉氏と扇谷上杉氏 5 / 木下聡/キノシタサトシ - 紀伊國屋 ...

    対決の東国史山内上杉氏と扇谷上杉氏 〈5〉. 木下聡 / キノシタサトシ. 価格 ¥2,200 (本体¥2,000). 吉川弘文館 (2022/02/16発売). ポイント 20pt. ご予約受付中. 出荷予定日とご注意事項. ※上記を必ずご確認ください. 【出荷予定日】.

  • 山内上杉氏と扇谷上杉氏 / 木下 聡 著 | 歴史・考古学専門書店 ...

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  • 44年に渡り、関東管領に君臨し続けた上杉顕定の手腕 | 戦国 ...

    これは扇谷上杉氏に従っていた諸将を動揺させ、彼らの中には離反して山内上杉氏へ走る者も出たのです。 こうして、山内上杉氏と扇谷上杉氏の対立が表面化し、再び上杉氏での内紛が始まることになります。 長享元(1487)年、顕定は

  • 第2回 国別 比較年表(1506~1535年)- 関東戦国史1438-1590

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  • 扇谷上杉氏について -扇谷上杉氏って戦国大名なのでしょうか ...

    扇谷上杉氏って戦国大名なのでしょうか?戦国大名としての括りに入れる場合と入れていない場合があります。活躍期間としては、室町後期から戦国なので私は戦国大名のうちの1人だと思っています。これは間違いなのでしょうか?

  • さとみ物語・完全版 3章-3 - 館山市役所

    山内上杉氏を惣領家として、扇谷上杉・犬懸上杉・宅間上杉・庁鼻上杉・越後上杉などの一族にわかれ、越後から上野・武蔵・相模・伊豆・上総などで守護をほぼ独占して、関東での一大勢力になりました。

  • 河越夜戦とは~絶体絶命の危機と策謀による北条家逆転勝利と ...

    扇谷・山内の両上杉氏と古河公方らが武蔵・河越城を8万の軍勢で取り囲んだのです。 今川・武田軍と対陣している此処を離れられないが、河越城を失うと関東制覇が果たせなくなるだけでなく居城・ 小田原城 も失いかねなかったの ...

  • 武家家伝_扇谷上杉氏

    山内上杉氏と抗争を続ける扇谷朝良は、山内顕定と戦うため伊豆の北条早雲と駿河守護今川氏親を味方につけ、永正元年(1504)武蔵国立河原で顕定と一大合戦をした。この戦いは激戦で、山内上杉氏は長尾六郎・上州一揆長野房兼

  • 太田道灌の暗殺の舞台 上杉定正糟屋の館 | 歴史が好き.com

    扇谷上杉氏の家宰として活躍した道灌は、主である 上杉定正 により悲劇の最期を遂げます。. その舞台となった 上杉定正糟屋の館跡 を訪ねました。. (2018年11月24日最終更新). 目次 [ 閉じる] 1 道灌の暗殺. 2 糟屋の館跡地にて. 3 七人塚と洞昌院(胴塚)へ ...

  • 関東管領上杉氏ゆかりの鎌倉【関八州の政務者達】

    まず、山内上杉家と扇谷上杉家について。 山内と扇ガ谷という地名は今も普通に鎌倉の地名なんですね。改めて訪れるとこんなに近い! 山内は北鎌倉駅を降りたあたりで、扇ガ谷は線路沿いに、北鎌倉駅と鎌倉駅との間くらい。

  • 上杉内乱─実蒔原の戦い─ - 歴史ボードゲーム専門通販 ...

    『上杉内乱』は、長亨2年(1488年)2月5日に、今の伊勢原市で起きた山内上杉氏と扇谷上杉氏による「実蒔原の戦い」を題材にしたウォーゲームです。1,000騎という大軍で侵攻してきた山内上杉氏を、わずか200騎ながら地の利を生かした ...

  • 近刊検索デルタ:山内上杉氏と扇谷上杉氏

    同族から分流した山内・扇谷両上杉氏は、上杉禅秀の乱から約100年にわたり、時に協力し、時に敵対し並立した。長享の乱で両氏の争いが終結するまでの複雑で入り組んだ経過を丁寧に解き明かし、戦いの意義に迫る。

  • 埼玉県の有名な戦国武将や勢力図を紹介!大宮や川越など地名 ...

    山内上杉家vs扇谷上杉家の争い「 長享 ちょうきょう の乱(1487年~1505年)」 「享徳の乱」で活躍した太田道灌は扇谷上杉家に仕えていた武将ですが、あまりの才気に「いずれ乗っ取られてしまうかもしれない」と考えた扇谷上杉定正は、なんと太田道灌を暗殺してしまったのです。

  • 古河公方 - 「公方-管領体制」の再構築(山内・扇谷上杉家 ...

    扇谷上杉定正が家宰の太田道灌を暗殺した直後の長享2年(1488年)、山内上杉顕定が扇谷勢へ攻撃を開始すると、定正は古河公方成氏・政氏らの支援を得て反撃し、相模実蒔原・武蔵須賀谷原・武蔵高見原の合戦で優勢に立った。[8]

  • PDF 第2部 第1部総論 Ⅱ Ⅰ Ⅵ Ⅴ Ⅳ Ⅲ Ⅱ Ⅰ

    7 6 総論 上杉氏一族の研究 総論 総論 上杉氏一族の研究 黒田基樹 はじめに 本書が対象とする上杉氏一族とは、およそ室町期から戦国初期にかけて、関東を中心に活動した一族である。その した上杉政虎後の戦国期においては、山内家・扇谷家・越後家が戦国大名化を遂げ、さらに越後国では ...

  • 山内上杉家家宰の長尾景仲と扇谷上杉家家宰の太田資清(道灌 ...

    1450 年 - 山内上杉家家宰の長尾景仲と扇谷上杉家家宰の太田資清(道灌の父)が関東公方府を襲撃、足利成氏は一時江ノ島に非難 | 太田道灌は、江戸城を拠点に東奔西走し古河公方足利成氏を降して関東管領上杉氏に勝利をもたらしたが(享徳の乱)、下克上を恐れる主君に謀殺された戦国初期 ...

  • 将軍たちの宝(23) 扇谷上杉氏と太田道灌 | 戦国ジジイ・りり ...

    さてね、山内上杉憲実が子に家督および関東管領職を継がせようとしなかったのに、 享徳の乱で結果的に憲忠が殺されるハメになったのは、 家宰の長尾景仲が憲忠を担ぎ出したからだった。 江ノ島合戦の時も、鎌倉公方の御所を襲撃したのは山内上杉の長尾景仲と 扇谷(おうぎがやつ)上杉 ...

  • ウェブサイト「いざ鎌倉」

    扇谷上杉家は永享の乱(1438年)以降、山内上杉家と関東の覇権を争いました。鎌倉扇谷(英勝寺一帯)に居をかまえていました。 山内上杉家 上杉憲房の三男上杉憲顕は建武元年(1334年)に足利直義によって関東相番に任じられてからは派

  • 古河公方誕生【維新の殿様・下野国喜連川藩(栃木県)足利 ...

    さらに、扇谷上杉家が家臣・太田道灌を暗殺すると、そのスキをついて長享2年(1488)山内上杉家上杉顕定が扇谷上杉家への攻撃を開始しました。 すると、劣勢となった扇谷上杉家上杉定正が古河公方・足利成氏に支援を求める ...

  • 扇谷上杉管領屋敷跡・年表のページ

    扇谷上杉の祖となる。 扇谷家は、永享の乱(鎌倉公方・足利持氏と山内家の戦)で山内家に味方し、享徳3年(1453年) 古河公方・足利成氏の享徳の乱でも山内家を支えた。 扇谷家宰・太田動真・道灌父子は河越城・江戸城を築城し

  • 「俺は絶対に諦めん! 」打倒上杉に燃えた男・長尾景春、30年 ...

    が、扇谷上杉氏が山内上杉氏に降伏・和睦して長享の乱が終結してしまうと、またも戦いを続けられなくなってしまいました。 景春の執念その②またもや挙兵す やむなく降伏した景春は、なんとその後は顕定に仕えたそうです。屈辱ではあっ

  • 【山内・扇谷】関東の上杉氏 2【犬懸・詫間・深谷】 | マト ...

    かつて関東管領として隆盛を誇った山内、扇谷、犬懸、詫間、深谷などの上杉一族・家臣などを語りましょう。 過去ログ 関東の上杉氏を語るスレ

  • 上杉定正(うえすぎさだまさ)のプロフィール・略歴 | 文系の ...

    扇谷上杉家 1443年 1歳 関東管領、山内上杉家の分家、扇谷上杉家当主で、相模国糟谷館主の上杉持朝の三男として生まれる 1447年 5歳 足利成氏が京都から下向し、鎌倉公方に復帰 1449年 7歳 かつて成氏を攻め滅ぼした ...

  • 【山内・扇谷】関東の上杉氏 2【犬懸・詫間・深谷】

    一応、扇谷上杉は、反古河公方陣営とされているんだけどな。 山内上杉と扇谷上杉は親戚だし、上杉持朝は、暗殺された上杉憲忠の正室の父でもある。 でも、その実、古河公方と扇谷上杉は、 繋がっていた訳で、それはそれでかなり

  • 【山内・扇谷】関東の上杉氏 2【犬懸・詫間・深谷】

    扇谷上杉が山内に降伏して神奈川湊の強制返還に怒って早雲に呼応して武蔵国橘樹郡か?権現山城で挙兵してるから横浜周辺は上杉→北条なんだろうね。 戦国期の橘樹郡は北条氏の誰が統治してたのかはわからん。 >>31 港南台は ...

  • 【合戦解説】立河原の戦い 伊勢・今川・扇谷上杉 vs 山内上杉 ...

    【合戦解説】相模平定戦 伊勢 vs 三浦・扇谷上杉 〜 立河原の戦いで勝利した伊勢宗瑞であったが、翌年再び南武蔵へ進軍した山内軍に扇谷上杉が降伏したため 関東全域が敵となる。宗瑞が決断したこととは…

  • 太田道灌の年表 - 真★日本人の日本史

    1438 年 [永享の乱]鎌倉公方足利持氏と対立した山内上杉憲実が関東管領を辞任し領国上野国に退去、持氏は征討軍を送るが、将軍足利義教が持氏追討軍を派遣、扇谷上杉持朝も山内上杉支持で参戦し、足利持氏・義久父子と稲村公方足利満貞を自害させ鎌倉公方は一旦滅亡

  • 山内上杉氏と扇谷上杉氏 通販|セブンネットショッピング

    山内上杉氏と扇谷上杉氏:本・コミックのネット通販ならセブンネットショッピング。セブン‐イレブン受取り送料無料。nanacoポイントも貯まって使える! 商品の説明 同族から分流した山内(やまのうち)・扇谷(おうぎがやつ)両上杉氏は、上杉禅秀の乱から約一〇〇年にわたり、時に協力 ...

  • internet - OnlineGameMarket / 上杉内乱-実蒔原の戦い-

    山内上杉氏は敵ユニットの除去、七沢城攻略、朝昌の捕縛を目指し、扇谷上杉氏は重要地点の防衛や敵ユニットの除去を目指します。 ユニット:44個、ゲームマップ:1枚、ルール:4p

  • 関東管領の上杉憲政とは 平井城と平井金山城 -武将辞典 ...

    上杉憲政 (うえすぎ-のりまさ)は、1523年に 関東管領 の山内上杉家・上杉憲房の子として生まれた。 母は不明。 1525年に父・上杉憲房が死去(享年59)した時、まだ3歳であったことから、父の養子・上杉憲寛(古河公方 ・足利高基の子・足利晴直)が、山内上杉家の家督を継いで 関東管領 となって ...

  • 【刀剣ワールド】太田道灌

    上杉家の傍流にすぎなかった扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)に繁栄をもたらした太田道灌(おおたどうかん)は、有能ゆえに主君の怒りを買ってしまった悲劇の人物。もしも太田道灌が主君に殺されなかったら、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。