• 越後守護上杉家とは - コトバンク

    世界大百科事典 第2版 - 越後守護上杉家の用語解説 - 上杉氏は,憲顕のころ山内(やまのうち),扇谷(おうぎがやつ),宅間(たくま),犬懸(いぬかけ)の4家に分かれ,それぞれ族的発展をとげた。山内家から分かれた越後守護上杉家もあった。

  • 越後国 - Wikipedia

    越後国 -越後国 -北陸道 別称 越州(えっしゅう) [注釈 1] 所属 北陸道 相当領域 新潟県本州部分 諸元 国力 上国 距離 遠国 郡・郷数 7郡34郷 国内主要施設 越後国府 新潟県上越市 越後国分寺 (推定)新潟県上越市 越後

  • 越後守護上杉家とは - コトバンク

    世界大百科事典 第2版 - 越後守護上杉家の用語解説 - 上杉氏は,憲顕のころ山内(やまのうち),扇谷(おうぎがやつ),宅間(たくま),犬懸(いぬかけ)の4家に分かれ,それぞれ族的発展をとげた。山内家から分かれた越後守護上杉家もあった。

  • 越後国 - Wikipedia

    越後国 -越後国 -北陸道 別称 越州(えっしゅう) [注釈 1] 所属 北陸道 相当領域 新潟県本州部分 諸元 国力 上国 距離 遠国 郡・郷数 7郡34郷 国内主要施設 越後国府 新潟県上越市 越後国分寺 (推定)新潟県上越市 越後

  • 上杉氏関係論文一覧 - 戦国史研究の窓

    「越後守護上杉家年寄の領主的展開-越後・信濃の市川氏を中心に-」 『新潟史学』63 2010.05.21 片桐昭彦 「春日社越後御師と上杉氏・直江氏ー「大宮家文書」所収文書の紹介ー」 『新潟史学』75 2017.11.05 片桐昭彦

  • 室町幕府 - 室町幕府の守護大名等 - Weblio辞書

    室町幕府 室町幕府の守護大名等 「守護大名」も参照室町殿御分国『南方紀伝』等によると、三職七頭の家格が定められたとされる。管領職には斯波氏、畠山氏、細川氏の三氏が就いて「三職(三管領)」と称し、山名氏 ...

  • 越後守護上杉家と長尾為景・影虎と関東管領上杉憲政の関係 ...

    越後守護上杉家は、長尾為景によって国を奪われ、その後、関東管領である上杉憲政は長尾影虎から関東管領職と上杉姓を引き継いだと認識しています。 越後守護上杉家と関東管領上杉憲政は、遠い親戚にあるのだと思います ...

  • 上杉謙信の家系図を簡単にわかりやすく解説! | 日本の歴史の ...

    上杉謙信の一族ってどんな人がいたのかご存知ですか? 父親は長尾為景、その後に関東管領だった上杉憲政の養子になり、実子はおらず他家から養子を貰って家名を残した謙信の家系図は、とにかくややこしい!の一言に付きますよね。

  • 室町幕府幕臣家一覧

    上杉 越後守護家 国持外様 足利氏根本被官 越後 四条上杉氏 外様衆 足利氏根本被官 上野 刑部大輔家 四番衆→五番衆 足利氏一門 若狭 上野 治部少輔家 四番衆 足利氏一門 上野 民部大輔家 三番衆・番頭、御供衆 足利氏一門 三河 ...

  • 【上杉館城/至徳寺館編】越後守護上杉氏の館城且つ御館の乱 ...

    越後守護上杉憲顕の孫「僧可」が、父憲将の菩提を弔うため建立した。 上杉家の菩提寺として栄え、京都の文化人たちの宿舎となった。 塔頭には長松院や最勝院があった。 将軍足利義澄は天下十利の一つに、万里集九は越後三大利の ...

  • 越後守護上杉家とは - コトバンク

    世界大百科事典 第2版 - 越後守護上杉家の用語解説 - 上杉氏は,憲顕のころ山内(やまのうち),扇谷(おうぎがやつ),宅間(たくま),犬懸(いぬかけ)の4家に分かれ,それぞれ族的発展をとげた。山内家から分かれた越後守護上杉家もあった。

  • 越後国 - Wikipedia

    越後国 -越後国 -北陸道 別称 越州(えっしゅう) [注釈 1] 所属 北陸道 相当領域 新潟県本州部分 諸元 国力 上国 距離 遠国 郡・郷数 7郡34郷 国内主要施設 越後国府 新潟県上越市 越後国分寺 (推定)新潟県上越市 越後

  • 上杉氏関係論文一覧 - 戦国史研究の窓

    「越後守護上杉家年寄の領主的展開-越後・信濃の市川氏を中心に-」 『新潟史学』63 2010.05.21 片桐昭彦 「春日社越後御師と上杉氏・直江氏ー「大宮家文書」所収文書の紹介ー」 『新潟史学』75 2017.11.05 片桐昭彦

  • 室町幕府 - 室町幕府の守護大名等 - Weblio辞書

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  • 越後守護上杉家と長尾為景・影虎と関東管領上杉憲政の関係 ...

    越後守護上杉家は、長尾為景によって国を奪われ、その後、関東管領である上杉憲政は長尾影虎から関東管領職と上杉姓を引き継いだと認識しています。 越後守護上杉家と関東管領上杉憲政は、遠い親戚にあるのだと思います ...

  • 上杉謙信の家系図を簡単にわかりやすく解説! | 日本の歴史の ...

    上杉謙信の一族ってどんな人がいたのかご存知ですか? 父親は長尾為景、その後に関東管領だった上杉憲政の養子になり、実子はおらず他家から養子を貰って家名を残した謙信の家系図は、とにかくややこしい!の一言に付きますよね。

  • 室町幕府幕臣家一覧

    上杉 越後守護家 国持外様 足利氏根本被官 越後 四条上杉氏 外様衆 足利氏根本被官 上野 刑部大輔家 四番衆→五番衆 足利氏一門 若狭 上野 治部少輔家 四番衆 足利氏一門 上野 民部大輔家 三番衆・番頭、御供衆 足利氏一門 三河 ...

  • 【上杉館城/至徳寺館編】越後守護上杉氏の館城且つ御館の乱 ...

    越後守護上杉憲顕の孫「僧可」が、父憲将の菩提を弔うため建立した。 上杉家の菩提寺として栄え、京都の文化人たちの宿舎となった。 塔頭には長松院や最勝院があった。 将軍足利義澄は天下十利の一つに、万里集九は越後三大利の ...

  • 新善光寺城(正覚寺)~越後守護の拠点 | お城解説「日本全国 ...

    新善光寺城 (正覚寺)~越後守護の拠点. 越前・ 新善光寺城 (しんぜんこうじ-じょう)は、 越前・府中城 や、龍門寺城から500mほどしか離れていない、平城で最初の築城時期や築城者は不明です。. 延元年間 (1336年~1339年)には、越前国の守護となった足利一門 ...

  • 【上杉館城/至徳寺館編】越後守護上杉氏の館城且つ御館の乱 ...

    越後守護上杉憲顕の孫「僧可」が、父憲将の菩提を弔うため建立した。 上杉家の菩提寺として栄え、京都の文化人たちの宿舎となった。 塔頭には長松院や最勝院があった。 将軍足利義澄は天下十利の一つに、万里集九は越後三大利の ...

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  • 謙信の参謀だった宇佐美定満(定行)不審死のナゾ! 溺死事件 ...

    越後守護上杉家が断絶の危機に瀕したとき、奥州の伊達家から「じゃあうちの息子を一人あげるよん」という話が持ち上がりました。 天文の乱( 伊達稙宗 と晴宗の親子争いを機に東北中が大喧嘩)のキッカケとなった、伊達実元養子入り未遂事件です。

  • 長尾晴景は越後国守護職ではないのにどうして将軍家から屋形 ...

    長尾晴景は越後国守護職ではないのにどうして将軍家から屋形号と白傘袋毛氈鞍覆を与えられたんですか?越後守護職は上杉家であって長尾家ではないですよね。 貰ったのは長尾為景です。多額の金品で買ったような格好です...

  • 上杉顕定

    上杉顕定(うえすぎ・あきさだ) 1454~1510 越後守護・上杉房定の二男。 幼名は龍若丸。通称は四郎。可諄(可淳)と号す。関東管領。寛正7年(=文正元年:1466)2月に山内上杉氏当主で関東管領職にあった上杉房顕が没すると、その後継に迎えられて山内上杉氏の当主となり、翌応仁元年(1467 ...

  • 守護大名の系譜 越後上杉家 : 塩はうまくてまずいです

    この 「越後守護」 は、鎌倉府の管轄ではないポスト。 京都の幕府直属のポストであり、京都在住が義務付けられてます。 そこで憲顕は 「越後守護」 のポストだけ、嫡男ではなく五男に継がせてます。 「越後守護」 を受け継いだのが

  • 上杉家 と 上杉謙信

    こうして越後の守護職にあった別の上杉家は失脚し、 連戦連勝の長尾景虎が国主としての地位に就きます。 景虎22才のことでした。 景虎(謙信)はその後も越後の反乱や紛争を次々と鎮圧、 いつしか勇名が周辺諸国にとどろいていまし

  • 上杉謙信の解説~越後の龍と呼ばれた長尾景虎・上杉景虎の ...

    しかし、兄に越後をまとめる才覚は無く、守護・上杉定実が復権し、上杉定憲らが政権を担うなど情勢は不安定であった。 このように長尾家は侮られ、1544年、15歳の長尾景虎を若輩と軽んじた近辺の豪族が栃尾城に攻め寄せると、敵の背後を突いて見事撃退し初陣を飾った。

  • 上杉房能 - Biglobe

    上杉房能(うえすぎ・ふさよし) ?~1507 越後守護・上杉房定の三男。 通称は九郎。民部大輔。明応3年(1494)10月、父・房定が死没。房定の長男である定昌は長享2年(1488)に早世しており、二男の顕定は山内上杉氏に入嗣していたため、三男である房能が家督を相続し、越後守護職を継承した。

  • 「本庄繁長の乱(本庄城の戦い、1568年)」牙を剥く上杉の ...

    越後の龍・上杉謙信といえば、高い人気を誇る戦国武将としてあまりにも有名です。 斜陽の室町幕府や朝廷を守護し、「義の人」と呼ばれることもある謙信ですが、意外なことにその家臣団は必ずしも従順ではありませんでした。

  • 関東長尾氏 - Coocan

    《関東長尾氏》 長尾氏は桓武平氏良文流でであると言われています。鎌倉幕府初期の有力御家人として知られる大庭氏・梶原氏の一族ですが、その出自は本宗家大庭氏・梶原氏の系譜と同様に系図によって異同・混乱が激しく、村岡忠通の子・景村の子孫であるというもの、景村の弟景成の子 ...

  • 越後国人領主色部氏史料集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

    越後国人領主色部氏史料集 出版者 神林村教育委員会 出版年月日 1979.3 請求記号 GC87-127 書誌ID(国立国会図書館オンラインへのリンク) 000001417463 DOI 10.11501/9537909 公開範囲 国立国会図書館/図書館送信参加館内